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2021年6月法話『見取(みとり)と見取(けんしゅ)』
2021年05月18日
見取(みとり)と見取(けんしゅ)
見取(り)とは、『岩波国語辞典』によると
①見て理解すること。
②看病・看護すること。
(例)【見取算】書いてある数字を見ながらそろばんで行う計算。
【見取り図】大体の形を見て書いた図。地形・建造物・機械などの形・配置を、目に見えるのと似た形にわかりやすく書いた略式の図。
と説明している。
要するに、見取(みとり・みとる)とは、よく見てことの次第を把握することなのだ。
では、仏教における「見取」とは、どういう意味なのだろうか。
仏教の場合の読み方は「見取」(けんしゅ)である。
さて、その意味は、『佛教語大辞典』によると、
「見取(けんしゅ)とは、低劣な誤った見解などに執着して、それらをすぐれた真実の見解であると考えること」
と述べている。自己のあり様に執着して自己中心的にものを見て、その結果、誤った見解を真実だと思い込んでしまうことが「見取」なのだ。
つまり、自己過信から生ずる誤解といったらいいだろう。
それを是正するには、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』が参考になる。
ジブンヲカンジョウニ入レ
ズニ
ヨクミキキシワカリ
宮澤賢治は正しい見方をするには、自分を勘定に入れないことだといっている。
(阿 純孝)