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2020年12月法話『成敗(せいばい)と成敗(じょうはい)』
2020年11月20日
成敗(せいばい)と成敗(じょうはい)
漢字とはおもしろいもので、読み方によってそれぞれ意味がちがってくる。
成敗がそうだ。三種類の読み方がある。
成敗を(せいばい)と読めば、処罰することだ。犯罪者を断首するのだから恐ろしい。
現代では打ち首の刑はないが、「喧嘩両成敗」という言葉は、子どもたちの間でも日常語化している。この言葉は古く、室町時代には使われている。
文安二年(一四四五)に藤原伊勢守は領内の治安のためにこんな髙札を立てた。
「喧嘩口論堅被停止訖。有違背族者、不謂理非、双方可為斬罪」
(喧嘩口論はしてはならない、もし異反した者があれば、是非のいかんにかかわらず、両者との打ち首に処す)というのだから、「喧嘩両成敗」の端緒だろう。
次に成敗を(せいはい)と読むと、また意味までちがってくる。
「成敗(せいはい)は時の運」という言葉が示す通り、思い通り成功するか、思い叶わず失敗するかは、本人の実力ではなく〝時の運〟だとしたら、失敗してもホッとする。失敗した人にとってはありがたいお言葉だ。
さて次は、成敗を(じょうはい)と読む場合だ。意味は、ものごとが成り立ったり、消滅したりすることで、諸行無常の現象世界を表す言葉になる。
私たちは、人として生まれ、育ち、やがて、老い、病み、そして死ぬ、これは〝時の運〟という偶然のなせるわざではなく、時がもたらす必然の運命だと知るべきだろう。(阿 純孝)