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2019年11月法話 『無念』
2019年10月29日
無念
元禄十四年三月十四日(一七〇一)江戸城松乃大廊下で浅野内匠頭は理不尽な扱いをする吉良上野介に対して刃傷沙汰に及んだ。殿中での事件であるから、浅野内匠頭長矩は即日切腹を申し付けられ、赤穂藩はお家断絶した。一方吉良上野介は何のお咎めもなかった。浅野内匠頭にしてみたら、さぞかし無念極まりない最後であっただろう。この主君の無念を晴らすために大石内蔵助を中心とする赤穂浪士四十七人は結束して本所吉良邸に討ち入りし、首尾よく主君の無念を晴らしたのが元禄十五年十二月十四日(一七〇二)のことである。
これが『忠臣蔵』のあらすじだ。
この赤穂事件は、一七四八年『仮手本忠臣蔵』と題して大阪で人形浄瑠璃として初演されたのが嚆矢といわれている。
この演劇によって多くの人は、浅野内匠頭の無念な思いに同情し、そしてまた、赤穂浪士が主君の無念を晴らしたことに共感する。
この浅野内匠頭の思いは怨念とはちがう。怨念にはたたりがつきまとうが、無念は同情心を呼び起こすのだ。それは正統な思いがなし遂げられずに終わることへの同情なのである。
念を残すから、残念無念ともいう。
ところで、この無念だが、本来の意味はそうではない。
怨念も残念も無念も雑念も消し去って、すがすがしい境地に至ることなのだ。それを無念無想という。禅定によって得られる境地だから修行しなければならない。
たまには、わずらわしいこだわりをなくして、心静かにしたいと思うのだが、これがなかなかむずかしい。実に残念無念に思う。