2019年8月法話 『未曽有』

2019年07月27日

 

画.阿 貴志子

未曽有

 

「未曽有」ということばは経典のなかだけに使われているのかと思っていたら、最近は、日常用語になりつつある。

 たとえば、東日本大災害の時、未曽有の災害が発生したと発表された。つまり、自然の驚異的な力によってもたらされた災害が人智を超えたすさまじさだということを表すために「未曽有」ということばが使われたのである。たしかに「未曽有」とは「いまだかつてあったことがない」という意味だからまちがってはいない。だが、経典の中の「未曽有」とはちがう。

法華経方便品では、

「釈尊が悟られた真理はあまりにも深く、未曽有の法(いまだかつてないほど私たちの知り得ない真理)であるから、難解であり、仏同士でなければ理解し得ないのである」

 とある。つまり、「未曽有の法」とは釈尊のさとりそのものなのだ。

 だから、〝未曽有の災害〟などと、災害にまで使ってほしくない。と思っていたら、今日の新聞に「未曽有の大事故」と見出しに書かれているではないか。やれやれだ。

 はかり知れない災害、はかり知れない事故という意味で未曽有は、わるいことのみに使われ出した。「大災害」「大事故」と〝大〟をつければ意味は通じるものをなぜ「未曽有」を使うのか。大変疑問に思っていたら、驚くなかれ、すでに吉田兼好が『徒然草』で書いていた。

 「‐‐‐未曽有の悪行なり」

はかり知れない悪行ということだから、またわるいことに使われているのだ。

 ということは、それほどに悪が多く、すばらしいことが稀有だということなのか。

 ということであるならば、そのことのほうが大問題だ。



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