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2019年6月法話 『隠密』(おんみつ)
隠密(おんみつ)
隠密(おんみつ)と聞いただけで、時代劇が目に浮かぶ。黒装束で身軽に屋根を走ったり、大名屋敷に音もなく忍び込んだり、屋根裏や床下に潜み、秘密を探ったり、いわゆるスパイ行為をする忍者。なかでも伊賀忍者・甲賀忍者はその代表格であった。忍者は諜報部員ではあったが、武士の扱いは受けていたようだ。そのほかにも江戸時代には御庭番といって将軍の住居の奥庭の番人でありながら将軍直々の命を受け秘かに諸国の動向を探ることもしたという。物語としてはとても興味津々で、大江戸番007というところか。
ところで、この隠密、歴とした仏教用語なのだ。元を正せば仏教の隠密が本家、流れ流れて意味内容のちがう忍びになった次第。
では、仏教で使われている正統な隠密とは何か。
それは、釈尊が悟られた時に時代は遡る。
釈尊はインドのガヤ(伽耶)という所で悟りを開かれた。ヒッパラという名の樹下に坐して瞑想したのち悟られたので、その樹を菩提樹と名づけられた。成道後七日ごとに樹下を変えて法悦の極におられた。その様子を知った天の最高位の神、梵天はこう思われた。(このようなすばらしい教えを説いてくださらなければこの世は滅びる)と。
そこで、梵天は釈尊の御前に現われ、教えを説かれるように勧請した。しかし、釈尊は首をたてにふらなかった。
真理はことばでは表わせない。たとえ説法したとしても正しくは伝わらないだろうと思われたからだ。でも、このままにしておいたならばだれが伝法するのか。だから、勇気を出して法を説くことにした。それを“初転法輪”という。仏教のはじまりである。
悟りの法つまり真理はことばでは表現できないほど深遠で言語道断の世界、以心伝心で伝わる世界だから隠密なのだ。またもうひとつの隠密の意味は、人の能力に応じて説き方を変えねばならない。真実をいきなり見せても理解されないから教化の手段として方便を使う。つまりその時は、真実は奥にある。隠れているのだ。それを隠密の義という。
釈尊の教化はいろいろな方法でなされる。
法の真髄を悟ってほしいからだ。
だとしたならば、相手の秘密をさぐる江戸の隠密とはまるでちがう。