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2019年5月法話 『我慢はよくない、エッほんと?』
2019年04月26日
我慢はよくない。エッほんと?
「我慢強い子だ」といわれると、その子はほめられたと思いうれしくなる。忍耐強いと同じ意味なのだから、そりゃ、うれしくもなるだろう。
「我慢のしがいがあった」ということも、耐え忍んだおかげなのだから、美徳のうちに数えられる。つまり、私たちが何気なく使っている“我慢”とは、生きていく上で必要な心得なのである。
ところがである。仏教では、我慢はしてはならないことなのだ。
「なんで」と思うだろうが、字は同じでも意味がちがうのだ。
仏教では、慢とは他と比較して自分がすぐれているとおごり高ぶることで、正しい見方ができない煩悩の一種なのだ。この慢には七慢といって七つあるという。その中のひとつが我慢なのだ。
その意味は、
どう見ても永遠不変に存在する“我”などはあり得ない。つまり、無我なのだが、思い違いして、変わらない我があると錯覚し、自己に執着してしまう。そこから、他者との比較がはじまり、自己過信したり、他者を見下したりする。それが仏教が指摘する我慢の意味なのである。
「我慢をするな」という本家本元の仏教の戒めがどうして“耐え忍ぶ”というよき意味にすりかわってしまったのだろうか。
思うに、自分が他人よりすぐれていると思う自尊心が、人には負けたくないからがんばる心を生み出したからなのだろう。
我慢にも痩せ我慢ということもあるから、ほどほどにしようではないか。
勝つと思うな思えば負けよ
という歌もある。