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平成31年3月17日~秋彼岸 展示替えテーマについて
2019年03月08日
青蓮院について
天台宗には、総本山となる比叡山延暦寺のほか、皇族および藤原氏・足利氏などの上級の貴族・武家出身者が門主(住職)を勤める門跡寺院があります。その門跡寺院のひとつが、京都・栗田口にある青蓮院です。平安時代後期から歴史がはじまりました。
青蓮院尊朝法親王と千妙寺
その歴史のなか、戦国時代に門主になったのが、尊朝法親王(1552~1597)です。伏見宮家出身で弘治元年(1555)に、幼くして青蓮院門主の後継者になりました。
以後、永禄5年(1562)に得度して尊朝と号し、天正13年(1585)には延暦寺に登って天台座主になっています。ところが、この間、大きな出来事がありました。
元亀2年(1571)、延暦寺は織田信長の焼き討ちに遭うという大打撃を蒙りました。これで延暦寺に伝わった天台密教のうち、三昧流が断絶してしまったのです。その三昧流の嫡流は青蓮院なのですが、尊朝の先代(尊鎮)が早く没したため、尊朝は三昧流の受法していなかったのです。
ここに伝教大師以来の天台宗は、消滅するかもしれない深刻な危機に見舞われました。しかし、遠い関東の千妙寺には代々、この三昧流が伝わっていたのです。そこで天正12年(1584)、千妙寺の亮信は上洛し、尊朝に三昧流を受法したのです。
このほかにも、尊朝は様々な困難に遭いましたが、この天正12年に豊臣秀吉から延暦寺復興の許可が出たことにより、再建にも尽力しました。もちろん、千妙寺などの関東天台の寺々にも支援を呼びかけています。そして、復興の見通しがついた慶長2年に没しています。まさに、戦国から天下統一という時代の激変期に活躍した法親王でした。