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2017年12月法話 『会得ということ』
会得(えとく)ということ
会得とは、辞典によりますと、
すっかり理解すること。よくのみこむこと。あるいは、意味をよく理解して、自分のものとすることと書かれています。用例として、「真理を会得する」「機械の操作方法を会得する」とあります。つまり、知識として知るとか見聞を広めるだけではなく、自らが修練をかさねて極意を身につけることを会得というのではないでしょうか。
秋月龍珉師の本の中にこんな話が書かれていました。
あるところに盗人の名人といわれた男がいましたが、寄る年波には勝てず盗人稼業から足を洗おうと思っていた時、息子が
「盗人をやめるのなら、俺に盗人の極意を伝授してほしい」
と申し出るではありませんか、名人は、自分が会得した技を息子が受け継いでくれるなら、盗人冥利に尽きると思い、早速伝授することにしました。
さて、どんな伝授の仕方をしたのでしょうか、
あるお金持ちの家に二人して忍び込みました。お屋敷の中央に立派な唐櫃がデンと置かれていました。中を開けて見ますと空っぽでした。
名人は息子にこの中に入るよう命じました。
言われるままに入りますと、名人はふたを閉め外から錠をかけてしまったのです。さらに名人は、
「ドロボウだ!!」
と叫んで、自分はこっそりと逃げてしまったのです。慌てたのは息子です。なにをするんだと思ってみてもどうにもなりません。
やがて、その声を聞きつけた家の者たちは、
「ドロボウはどこだ」
と探しまわりました。絶体絶命です。外は鍵、内は酸欠。外の錠を誰かに開けさせなければなりません。思案していると、足音が近づいて来ます。そこで、息子は咄嗟に思いつきました。ネズミが唐櫃の中にいるように音を立てたのです。家の者たちは、
(なんでこんな中にネズミが入っているのか)といぶかりながらフタを開けました。息子はこの時とばかり飛び出し一目散に逃げましたが、追手は増えるばかり。(なんとかしなければ)と思っていると、逃げる途中に井戸がありました。息子はその井戸に大きな石を投げ込んで物陰に隠れて様子を見ました。追手は
「ドロボウの奴、井戸に飛び込みやがった」
といって井戸のまわりに集まりました。そのすきにやっとの思いで逃げ帰ることができたのです。息子は父である名人に
「情け容赦もないことをなぜしたのか」
と怒りますと、名人は
「極意を身につけるとはそういうことだ」
と言ったということです。