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2017年9月法話 『他力本願』
2017年08月20日
他力本願
“他力本願”ということばほど現代日本で誤解されて使われていることばはないでしょう。
他力本願とは、ひとえに他人の力をあてにするという意味で使われ、依存主義で自主性がなく、人格さえ疑われそうな内容を含んでいます。
そこで、“他力本願”の本来の意味を回復したいと思っています。
他力とは、他人の力ではありません。仏さまの慈悲の力のことです。阿弥陀如来は、生きとし生ける者すべてが幸せになることを念じお救い下さるお姿を他力と言うのです。
本願とは、阿弥陀如来が法蔵菩薩であった時、一切衆生を平等に救済しようと発した誓願(四十八願)のことです。その中の第十八願には、このように誓願なされています。
「もしわれ仏になることを得んに、十方の衆生が至心に信じねがって、わが国(浄土)に生まれんと欲し、乃至十念するも生ぜずんば、われ正覚を取らじ」
つまり、心から信じて十回“南無阿弥陀仏”と唱えさえすれば必ず救いますと仏さまが誓っておられるのです。決してむずかしいことを要求しているわけではありません。仏さまを信ずることがいかに大切かということです。
恵心僧都は『往生要集』の中で
「信ずれば 花ひらく」
と述べています。信ずることによって、人生の花はひらくのです。