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2017年7月法話『忍の一字は衆妙の門』
忍の一字は衆妙の門
忍とは、忍耐あるいは堪忍の忍で、昔は人としての徳の基本とされていました。落語にも忍にまつわる小噺があります。
寺子屋に来る子どもたちにとって、そこの師匠は絶大なる力を持っておりました。とは言え、落語のことゆえ、話はこうなります。
子どもたちのひとりが師匠にたずねました。
「ねぇお師匠さま、先生はいつも身につく学門をしろとおっしゃられていますが、何が一番大切でしょうか」
いきなり人生の核心ともいえる質問を受けた師匠は、ここで戸惑ってはなりませんから、威儀を正して、
「大変よい質問だ。これから言う我輩のことばをこころして聞け。つまり、それは『忍の一字は衆妙の門』といってな。忍の一字が大切なのだ」
すると、それを聞いた子どもは、
「ニンだったら、一文字じゃないよ。二文字だよ」
とはやしたてました。
師匠は、その手には乗らず、
「漢字で一文字だ」
すかさず、子どもは
「読んだら二文字」
たまりかねた師匠は論すように
「忍んとは、堪忍のことを言うのだ。分かったか」
よろこんだのは子ども、
「カンニン。また増えて四文字になった」
師匠は子どもの悪ふざけを無視して、
「堪忍とはタエシノブという意味です。これこそ身につけておかねばならない徳目である」
と言うと、
「タエシノブなら五文字」
これには、師匠も堪忍袋の緒を切らし、
「このバカ者め」
と怒鳴りつけました。それを見た子どもは、
「お師匠こそ堪忍を身につけたら」
これが落語のオチです。
さて、仏教では、この世のことを苦しみという意味の娑婆といい、堪忍土ともいいます。
この世は四苦八苦の尽きない世界なのだから、堪え忍ばねばならないのです。そのように、お互いが共に苦しみを背負って生きているのですから、許し合いいたわり合うことが大切なのでしょう。
「堪忍してください」ということばは、人との間の潤滑油になっていましたが、そのことばも日常生活の中から消えようとしています。残念に思います。