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2017年5月法話『しるしなきこそしるしなりけり』
2017年04月17日
『しるしなきこそしるしなりけり』
『しるしなきこそしるしなりけり』ということばは、夢窓疎石(夢窓國師)(1275~1351)が言ったことばだと伝えられています。
夢窓疎石は、甲斐の恵林寺、嵯峨野の天龍寺を創建した禅僧で、日本を代表する作庭家としても名を残し、西芳寺、天龍寺、等持院、瑞泉寺、恵林寺などの庭を作庭し、それらはいずれも世界的名勝であると高く評価されています。そのようにすぐれた芸術的センスを持った疎石が語った「しるしなきこそしるしなりけり」ということばには、どのような意味が込められているのでしょうか。
「しるし」とは、神仏の霊験のことです。
私たちは、神さまや仏さまにさまざまなお願いごとをします。その願いが叶った時、「霊験あらたかだ」と言って。神仏の加護に感謝します。しかし、その霊験がなかったとしたら、私たちはどう思うのでしょうか。その時です。疎石は「しるしなきこそしるしなりけり」と言うのです。
このことばの意味を理解するには、相田みつをの詩がヒントになります。
空気の
中にいるから
空気を意識
しない
歩くときに
足を意識
しない
まさにその通りですね。空気がなければ生きていられないのに、そのことは意識せずに平然と暮らしています。
ものを食べる時、うまいまずい、あるいは、かたいやわらかいとは思っても、歯の存在は意識しません。歯が痛んではじめて歯のことを意識します。熟睡している時でも、心臓は働いているのに、そんなこと意識しません。
このように意識しないところで私たちの生命は支えられているのに、当たり前のこととし平穏に過ごしているのです。
疎石は、それこそが神仏のご加護なのだと見るのです。
「しるしなきこそしるしなりけり」
ご加護の真意をしっかりと味わってみましょう。