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2017年4月法話『和顔愛語』
和顔愛語
『無量寿経』に「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉があります。
和顔とは、平和な顔、なごやかな慈しみをたたえた表情のことです。
愛語とは、愛情のこもったことばかけのことです。
この和顔愛語は仏道修行のひとつに数えられている「布施」の精神なのです。布施といいますと、財を施すことをイメージしますが、それだけでなく、「無財の七施」といって、相手を思いやる心がけも立派な布施なのです。
この和顔愛語の布施は、気落ちして落胆している人には気力を、悲しみに沈んでいる人には生きる力を、挫折した人には勇気を与えます。例えるならば、病気を治癒させるための妙薬といえましょう。そんなに優れた心の特効薬なのに処方を間違えたり、忘れたりすることが、数かぎりなくあります。
その例として、こんな詩があります。
吉岡たすく著『幼児教育』に載っていた小学生の詩です。
ぼく、学校の帰り道でむらさき色の花を見つけた
あっ、もうスミレの花が
咲いている
ぼく、スミレの花をとって
走って帰った
戸を開けるなり
「かあちゃん、見てごらんよ」
といって、スミレの花を
差し出した
そしたら、かあちゃんが
「スミレぐらいで大きな声を出すな」
と、顔をしかめた
ぼく、その顔を見て
何にもする気がのうなった
春の訪れに美しく咲くスミレの花を見つけて、即座に母親に見せようと喜び勇んで走って来たのに、何たる母親かと思います。でも、人のことは言えません。(もしかしたら私かも)と思ってしまします。よくあることではありますが、だからこそ「和顔愛語」が大切だと思います。相手に対するちょっとした心遣いがあればできることなのに、ついうっかりわすれてしまうのです。やはり、「和顔愛語」は布施修行なのでしょうか。伝教大師が「忘己利他」を説かれたことが思い出されます。