2016年12月法話『わるいことは他人のせい』

2016年11月22日
画.阿 貴志子

画.阿 貴志子

わるいことは他人のせい

 

 ユダヤの諺に

「人は、転ぶと坂のせいにする。坂がなければ、石のせいにする。石がなければ靴のせいにする。人はなかなか自分のせいにはしない」

  私のことを言われているようで、ドキリとします。この世の中に相当長くお世話になっている私なのですから、達観しなければならないと思うのですが、自分のことになりますと、そうはいきません。

  自分がじぶんを愛することは決して悪いことではありません。そして、自己を大事にすることは、生まれてきた当然の義務でもあります。

ただし、自分可愛さのため他人を認めないのは考えものです。

  世の人のためになるのは生きる道理であるのに、この世が私を認めないと言い、自分を棚に祭り上げ、人のせいにしたのでは、迷惑な話です。

  お釈迦さまの逸話にこんな話があります。

  ある国の王様が若きお妃にこう尋ねました。

「この国で一番愛しい者はだれか」と。

  王様としたら、(それは王様です)と、彼女は言うに違いないと思っていたところ、意外にも、お妃は、

「この世で一番愛しいのは私です」

  と、答えるではありませんか。これには、王様はびっくり。(なぜなのだ。私を愛していないのか)と嘆かれました。

  その話をお聞ききになられたお釈迦さまは

「誰でも、人は自分が一番愛しいのだよ。だからこそ、愛しいと思っている他人を傷つけてはならない」

  と、申されました。自己を大切にすることは他人を大切にすることなのですね。

  自分を可愛がるために他のせいにするのとは大分違うようです。

 

 



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