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2016年9月法話『帰依』
2016年08月24日
帰 依
日常生活の中で誰でもが使う言葉なのに、家族の間では決して言わない言葉があります。何という言葉でしょうか。
それは「さようなら」です。
例えば、我が子が学校に行くとき、お母さんに「お母さん、さようなら」と言って出て行ったなら、母親は慌てふためく事でしょう。
それでは、夫が子どもと同じように「さようなら」と言ったら、別居か離婚を意味してしまいます。
結婚前の恋人同士なら、お互いに「さようなら」と言っても、何ら問題はありませんが、家族の間では禁句です。
つまり、寄り添うところ、帰るべきところが家族であり、家庭だからです。
さて、仏教では「帰依」という言葉を大切にします。三宝、つまり、仏様、仏の教え、仏を信じあう同士に帰依してはじめて仏教徒になれるのです。
帰依とは、語源を辿れば、避難所、救護所保護所という意味で、帰依所ともいっています。そこは、心の寄る辺であり、安心できるところなのです。
暗い夜道を歩いていると遠くに明かりが見えると、ほっとして明かりの方を目指すように、迷いのなかを歩んでいる私たちには三宝が寄る辺なのです。
良寛さまは「災難に遭う時節には災難に遭うがよろしく候。死ぬる時節には死ぬるがよろしく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」と述べています。味わい深い言葉です。
良寛さまは、しっかりと帰依所に身を置かれていらっしゃるから、言える言葉なのです。
諸行無常の世の中ですから、何が起こっても不思議ではありません。ですから、帰依所が必要なのです。