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2016年8月法話『怨みは怨みなきによりてこそ』
怨みは怨みなきによりてこそ
日本人が忘れてはならない経典があります。それは『法句経』の中にあります。
まこと、怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みをいだくその日まで
この世の争いは止みがたし
ただ怨みなきによりてこそ
怨みは遂に消ゆるべし
こは変りなき真理なり
70数年前、日本は太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗れ、敗戦国日本の処遇を決めるため42ケ国が集まり、サンフランシスコ講和会議が開かれました。日本はさまざまな国から激しく非難され、莫大な賠償、領土の分割統治などにつき討議されました。その時、演壇に立ったセイロン(現スリランカ)の代表ジャヤワルダナ大臣は、この『法句経』を引用して、
「怨みは怨み心を持つ限り争いは消えない。憎しみを忘れて、日本の将来を考えようではないか」と演説し、セイロンは賠償を放棄しました。
セイロン代表の演説は多くの人々に感動を与え、そのお蔭で日本本土は分割されることなく復興することができたのです。
もうひとつ、このような話があります。名横綱双葉山関についてのエピソードです。
元NHKアナウンサーで東京オリンピック開会式の実況中継をした北出清五郎アナから聞いた話です。「双葉山の相撲は『心の相撲』だと評価されているが、そうなるには横綱が少年だった頃のご両親の育て方が大きな助けになっていると思う」と、彼は言っていました。
双葉山が少年のころ、近所の友達と遊んでいた時、友達が放った吹き矢が偶然彼の目に刺さって右の目を失明しました。その時、本人はもとより両親は大変悲しみましたが、少年の過失を許すことにしたのです。
「お前の目をつぶしたのはあの子だ」といって、少年を責めたならば、双葉山はその少年に対して怨念を抱きながら育って行くことになるだろう。それは、彼の人間性を高めるうえでマイナスになる。だから、怨み心を持たせることなく、伸び伸びと育てようとしたのです。双葉山関が名横綱になれたのは、目が見えない分、抜群の相撲勘を培うことができたからだと言われています。