- トップページ
- 千妙寺からのお知らせ
- 法話
- 2022年9月法話『無所得でありたい』
2022年9月法話『無所得でありたい』
無所得でありたい
アメリカの経済紙『フォーブス』が発表した2022年版の世界長者番付の第一位になったのはイーロン・マスク氏だった。
イーロン・マスク氏は電気自動車(EV)メーカーのテスラなどの創業者である。
前年まで4年連続第一位のネット通販アマゾンの創業者ジェフ・ベゾン氏を追い抜いたとテレビは報じていたが、あまりにもはるかに天上の話題なので、どんな生活ぶりなのか想像すらできない。想像ができなければ興味が持てない。つまり、私にとってはどうでもいいことなのだ。世界の億万長者を云々するより、私には無所得の方に興味がある。
ある日、ある人に
「俺は無所得でありたいよ」
と言ったら、
「何を言うかと思ったら、無所得に憧れているのか、バカな奴だな。低所得者のお前が言うセリフか」
と、バカにされた上に
「この間、ディナーを御馳走したのだから、今夜はお前がおごる番だ」
というではないか。ディナーと言ったとて、居酒屋でヤキトリに酒程度なのだから、低所得者の私でも自信をもっておごり返すことはできる。
話がお金のあるなしになってしまったが、私が「無所得」に興味があるのは収入の多い少ないの所得のことではない。
私が思っている「無所得」とは、精神的自由を得ることなのだ。
『仏教語大辞典』によると
「無所得とは、何ものにもとらわれぬ自由な境地、心の中の執着、分別をしないこと。ものにこだわることのないこと」
と説明している。
「何ものにもとらわれぬ自由」を得るには、どうしたらよいのだろうか。
そこで、思いついたのは宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の詩である。
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
と宮澤賢治は言う。
「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」(自分を勘定に入れずに)とは、自己中心的な考えをしないことだから、それができたら、ありのままに見ることができるだろう。
「ヨクミキキシワカリ」(よき見聞きし解かり)である。
自分を勘定に入れずに見ることができるようになれば、
〝無所得〟の境地に近づけのではないだろうか。
(阿 純孝)