2022年8月法話『あってはならない一大事 あってほしい一大事』

2022年07月31日

 

画.阿 貴志子

あってはならない一大事

     あってほしい一大事

 

「あなたは私にとって大事な人なの」

 と言われたら、わるい気はしない。

「大事な会議だから、必ず出席しなければならない」

 と言えば、会社の存続にかかわることかと思う。

『新明解国語辞典』によると

「大事とは重大な事態。一つ扱いを誤ると、その組織の存否にかかわりかねない重大な事態」

 とある。

 この大事がもっとすごくなったら、一大事だ。最悪の事態を想定してしまう。

 野村胡堂の『銭形平次捕物控』で、

平次親分のところに子分の八五郎(通称ガラッパチ)が

「親分、オヤブン、テエヘンダ!!一大事だ」

 と言って、とび込んで来る。

 一大事とは、非常に物騒な大事件のことだ。

 ところで話は仏教に移る。

『法華経』(方便品)で〝一大事〟のことをこう説いている。

「諸の仏、世尊は、唯、一大事の因縁をもっての故にのみ、世に出現したまえばなり」

 釈尊がこの世に出現されたのは、私たち生きとし生ける者を救済するためであり、それが最大の目的であり、これが「一大事の因縁」なのだ、といっている。

『法華経』が説く衆生済度とは、私たち衆生に仏の知見を得させるためなのである。

 仏知見を(開)かせ

 仏知見を(示)し

 仏知見を(悟)らせ

 仏知見の道に(入)らしめん

 と『法華経』は述べているが、これを「開・示・悟・入」と覚えやすく略し、仏の一大事の因縁の意義を心にとどめやすくしたのである。

 八五郎の一大事はこまるが、仏の示す一大事はありがたい

          (阿 純孝)



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