2022年7月法話『一人はうまからず』

2022年06月20日

画.阿 貴志子

一人はうまからず

 

藤原審爾のエッセイ『一人はうまからず』にこんなエピソードが書かれていた。

 藤原審爾さんは幼い時にご両親を亡くされ、お祖母さんに育てられた。その時のはなしである。

 うら山で野苺がなっているのを見つけ、竹かごに入れて持ち帰り、ひとりで食べていたところ、それを見た祖母は

「どうしてみんなと一緒に食べないの」

と、たしなめた。その時彼は、

(自分ひとりで山に行き、ひとりで見つけたのだから、ひとりで食べてもよいではないか)と思い、いささか不満に思った。祖母はその様子を見てこう言った。

「山の幸は万人のものだから、たとえ自分が取ったものでも分けるものです。それから、一人はうまからずという言葉も憶えておきなさい」と。

”山の幸は万人のものだから、ひとりじめはゆるされない”ということ。そして”一人はうまからず”といったお祖母さんの言葉に心うたれた。

『一人はうまからず』のエッセイを読んで思ったことは「恩恵」を知ることの大切さだ。

仏教書の『人施設論』に

「世間において得難い二人がいる。その一人は恩を施す人である。他の一人はその恩を知り恩を感じる人である」

と説かれている。

 恩を施すことは勿論大切だが、恩を受けていることを知り感謝することは、施恩と同じく大切なことだと『人施設論』は説く。

自然からの恵み、人からの恩、

そういえば、平穏無事でいられることは、さまざまな恩恵に浴しているからなのだ。

恩という文字は、原因の因と心とでできた文字だ。となれば私たちを支え生かしてくれている原因を心に受けとめることがいかに大切かということだ。 (阿 純孝)



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