2022年5月法話『三昧(ざんまい)と三昧(さんまい)』

2022年04月24日

画.阿 貴志子

三昧(ざんまい)と三昧(さんまい)

 

「すしざんまい」という寿司のチェーン店がある。漢字で表記すれば「寿司三昧」ということだろう。「三昧」を店名にするとはよく思いついたと思う。

 読書三昧(ざんまい)、ゴルフ三昧、贅沢三昧、昼寝三昧‐‐‐。なにしろ、あることに熱中して他を顧みないのだから、その集中力たるや感心する。一途といったらよいのだろうか。

 であるなら、「すしざんまい」とはいろいろ豊富な食べもの、フレンチ、イタリアン、中華、韓国、エスニック等々とあるなかで、寿司一筋で、他には見向きもしないという意味になり、それほど寿司に惚れ込んでいるということか。この店名を考えた人は一筋縄ではない。

 今掲げた「三昧」は「○○ざんまい」と濁点をつけて発音する。

 さてそこで、三昧とは本来は仏教語であり、読み方も「さんまい」である。つまり、サンスクリット語のサマーディの音写だからだ。漢訳すると、禅定あるいは等持である。意味は「ざんまい」と共通しているところはあるがわかりやすくいえば座禅のことである。最近では瞑想ともいっている。

 アメリカでは瞑想が流行し、少しの時間があればソファーや椅子に腰かけて目を閉じて心静かにする時を持つことを生活の中に取り入れていると聞いた。

 とにかく、煩雑な日常の中でそれらにとらわれずにひと時を過ごすことは心の健康のためによいことだ。

 その場合の基本的な心がまえは、ありのままなる状態を保つことなのだ。たとえば、そこに草が生えているとしたら、雑草だから抜かなければなどと思わないことだ。草は草なりに伸びるのだから、そのままでよいのだ。

 それが心静かにするコツである。   (阿 純孝)



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