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2022年2月法話『一樹の蔭』
一樹の蔭
夏目漱石の『吾輩は猫である』にこんな文章がある。
「縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったら、吾輩はついに路傍に餓死していたかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云ったものだ。この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家の三毛を訪問するときの通路になっている」と。
竹垣が破れたならば、直ちに修理するのが常識というものだが、破れたまま放置された穴が猫にとっては餓死をまぬがれ、飼い主に出会えるチャンスを作ってくれた。〝救いの穴〟であり、今では猫同士が会う〝友好の穴〟になっている。なくてはならない穴なのだ。
漱石は、このことを「一樹の蔭」だといっている。
さて、この「一樹の蔭」だが、謡曲などで「一樹の蔭に宿り、一河の流れを汲むことも皆これ他生の縁ぞかし」(謡曲、松虫、小督、経正、山姥など---)
と謡っている。
つまり、道すがら一樹の木蔭に雨宿りしたり、喉を潤すために河の水を飲む時に隣り合わせになる人は、単なる偶然ではなく前世からの運命によって出会うことになっている深い縁で結ばれているということである。
なに気ないちょっとした出会いも他生の縁と見るならば、無関心でいるわけにはいかない。「一樹の蔭」ということばは室町時代の流行語になっていたのであろうか。『御伽草子』の「浦島太郎」にも出て来る。
浦島太郎が海岸で助けた亀が恩返しに乙姫様に変身して舟にひとり乗って浦島太郎のそばに現れる。童謡でこう歌われている。
昔々、浦島は、助けた亀に連れられて
龍宮城に来て見れば、絵にもかけない美しさ
龍宮城に導かれた浦島に乙姫様はこう言うのだ。
「一樹の蔭に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし。ましてや遥かの波路を、はるばると送らせ給ふ事、ひとへに他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契をもなし給ひて、同じ所に明し暮し候はんや」
と。こうして浦島は乙姫様と結婚し龍宮城で暮らすことになる。浦島と亀との偶然の出会いが実はそうではない。「一樹の蔭に宿り、一河の流れを汲むことも、他生の縁」という深い縁の流れの中の出来事だったのである。
日々の出会いは「他生の縁」か。
そう思うと、なぜかなつかしさを覚える。
(阿 純孝)