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2022年1月法話『結集(けっしゅう)と結集(けつじゅう)』
2021年12月24日
結集(けっしゅう)と結集(けつじゅう)
結集(けっしゅう)とは
多くのものを一つに集めてまとめることと辞典では説明しているが、主に人間同士の集団行為のあり方として使われている。
ある政治目的のために多くの人々が集まれば「結集」(けっしゅう)だ。だが、何気なく興味本位に人が集まれば、それを「群集(群衆)」という。
高校野球の監督が、
「心を一つにして戦え‼」
と言えば、力を結集(けっしゅう)させることだ。
ところで、仏教にも「結集」という言葉がある。この場合は「けつじゅう」と発音する。
さて、釈尊はいたる所に行脚され、教えを説かれた。したがって、直々に釈尊の教えにふれる機会があった。ところが、釈尊が遷化なされたらどうだろう。弟子たちの記憶の中にしか教えは残っていない。その記憶とて個人的見解が入るから、釈尊の教えにずれが生ずる。そのまま放置するわけにはいかない。
そこで、弟子たちは集まり、お互いの記憶を確かめ合い、合議の上、経典を作成した。このように釈尊の教えを正しく実践し、また。正しい教えを受け継いでいくために経典編集会議が何回も開催された。これを仏教では、「結集(けつじゅう)」という。
なかでも、釈尊入滅200年後に阿育王がパータリプトラで行なった結集が有名である。
今日の仏教経典は、このようにして編集されたのである。
私たちが読んでいる経典の多くは、弟子たちの叡智の結集(けっしゅう)である。
(阿 純孝)