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2021年1月法話『変化(へんか)と変化(へんげ)』
変化(へんか)と変化(へんげ)
野球の投手は多彩な変化球(へんかきゅう)と直球を組み合わせて投げ、打者を翻弄させ、多くの三振を奪うと名投手と言われる。一方、打者は打撃の技術を磨き対決する。投打の駆け引きが野球観戦の醍醐味である。野球に変化球がなかったら興味は半減するだろう。
となると、変化(へんか)は貴重だ。
さて、仏教が説く縁起説を取り上げるまでもなく、あらゆるものは時間とともに変化する。変化なしに存在することはあり得ない。
たとえば、変化しないと思われている石はどうだろうか、何百年先のことはいざ知らず道端に転がっている路傍の石は一見変化しないように見える。昨日見た石も今日見る石も同じ形をしている。では、変化しないのか。そんなことはない。
道行く先きで犬が吠え襲って来た時、路傍の石を拾って犬に向かって投げた瞬間、石は変化する。武器に変わるのである。存在価値の変化だ。したがって、あらゆるもののあり方は変化する。
ところで、この変化(へんか)を変化(へんげ)と読み換えたら、妖怪変化(ようかいへんげ)のお出ましだ。日本昔ばなしで代表的なのは、狐と狸だ。狡賢(ずるがしこ)く化けるのが狐でどこか間が抜けているのが狸だ。から仐も化けることがある。人間だってすごいのがいる。
「あいつは化け物だ」
と言うではないか。普通の人間の能力を超えているからだ。
では、仏教が見る”変化”(へんげ)はどうか
変化身(へんげしん)と言って尊敬されているのである。
すべての衆生を救済するために人間の姿になって現れるのが、変化身なのだ。釈尊がそうである。
仏が衆生済度のために二千五百年前にインドに人としてお生まれになったのが釈尊であると大乗仏教は説いている。
だから、四月八日の花まつりに花御堂にお立ちのお釈迦さまは、人間でありながら仏の特徴である相好を具えている。
人間の姿で現れたお釈迦さまはいなかったとしたら、仏教は伝わらなかったと思われる。そんなわけで、仏教では変化(へんげ)を変化身(へんげしん)として崇めている。これを応身仏ともいっている。(阿 純孝)