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2019年9月法話 『「でも」と「も」のちがい』
2019年08月26日
「でも」と「も」のちがい
(で)が入る「でも」と(で)のない「も」とでは意味合いがちがってくる。
たとえば、
「赤い服と白い服、どちらがいい?」
と質問されたとする。その時、
「赤でも白でもどっちでもいいよ」
と答えるか、
「赤もいいが白もいい」
と答えるか、両者の答えにはものの見方に相違がある。
「どっちでもいいと、「で」を入れて言われると、なげやりな気分になる。ところが、「どっちもいい」と「で」が抜けると、「すべてがいい」と肯定的に感じとれる。
さて、小学校唱歌に『チューリップ』という歌がある。
咲いた 咲いた チューリップの花が
並んだ 並んだ 赤 白 黄色
どの花見ても きれいだな
この歌は、差別を超えた平等心を歌っている。もしかしたら、学校の教育方針を歌に託したのではないかと思いたくもなる。
生徒には同じ子はいない。背丈の高い子低い子、勉強ができる子できない子、足の速い子おそい子、さまざまだ。でも、どの子もすばらしいと思う心。まさに教育理念ではないか。金子みすずの詩『みんなちがってみんないい』の精神だ。
この「みんないい」精神に時間を入れた詩がある。武者小路実篤の詩だ。
みんないい
春もいいが夏もいい
秋もいいが冬もいい
みんないい
「みんないい」精神に時間が入ると、私たちの人生の教訓になる
幼い時は幼いなりに、若い時は若いなりに
年老いたら年老いたなりに。その今がよい
つまり、みんないいのである
この精神は法華経にある。すべては仏の子であると教えている。仏さまの目で見れば、すべてがいいのだ。「どっちでもいい」のとはちがう。