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2018年6月法話 『ありのままに見る』
2018年05月26日
ありのままに見る
今から千三百数十年前、朝鮮の新羅という国に元暁(がんぎょう)という僧侶がいました。大変探求心に富んだ学僧で、唐に行きさらに仏教の奥儀を深めたいと決心して辛苦の旅に出ました。その旅の途中のことです。荒野の中で日が暮れ、あたりは漆黒の闇、目の中まで黒一色となりました。これでは動くことはできないので、疲れをいやすため仮眠することにして横になりました。しかし、道中の疲れでしょうか、咽が乾いて眠ることができません。何気なく手を伸ばすと器のようなものが手の先にさわり中には水が入っていました。(これこそ天の助け)と思い、飲んでみますと実においしい水でした。全部飲みほすには勿体ないと思い、明日のために残して、ぐっすりと寝入りました。やがて日は昇り、あたりが見通せるようになりました。昨夜の水はどこかと、ふと見ると、器と思ったのはなんと頭蓋骨ではありませんか、その頭蓋骨の中にまだ水は残っていました。
昨夜、おいしい水だと味わって飲んだのはこの水だったのか。
その突端、吐き気をもよおし気が滅入ってしまいました。
元暁はその体験を基に、
「すべてのものは心がつくり出す」
と悟ったということです。つまり、水は水で変わることはないのに、まわりの環境によってよくもわるくも思ってしまうということなのでしょうか。
ありのままに見ることがいかにむずかしいかということでしょう。
般若心経の「色即是空」の空は、わだかまりなく、ありのままに見ることなのです。