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2018年5月法話 『死ぬということ』
死ぬということ
池波正太郎は『男の作法』の中で
「男は何で自分をみがくか。基本は‐‐‐『人間は死ぬ‐‐‐』という、この簡明な事実をできるだけ若いころから意識することにある。もうそのことに尽きるといってもいい。‐‐‐そう思えば、どんなことに対してもおのずから目の色が変わってくる。そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、自分をみがくための『みがき砂』だということがわかる。逆にいえば、人間は死ぬんだということを忘れている限り、その人の一生はいたずらに空転することになる」
と述べている。
私たちは現に今生きているのだが、いつかは確実に死ぬ、なんびとたりとも死は逃れることができない。そんなことだれもが知っているのだが、他人ごとのようにして遠ざけている。それではいけない。「人間は死ぬ」という自覚を深めることができれば、生きることに意味を与え、自分の人生にみがきをかけることができると池波正太郎はいうのである。
ところで、ドイツの教育学者シュタイナー博士は
「青年は肉体の季節、中年は心と知性の季節、老年は魂の季節」
といっている。老年は、おのが魂をみがく時なのだ。
遠藤周作は『死について考える』という本の中でこう述べている。
「隠居という言葉が死語になりつつあって、定年とか、第二の人生とかいわれていますが、昔は隠居するということは次の世界を信じ、そこに向かう旅支度だったのです。隠居生活は今までの生活重点主義を捨てて人生を直視することだったのです。生活に心を集中していると、本当の人生がボヤけてしまいます。隠居することによって、人生を考える。人生を考える上で最も大事なのは死の問題ですがら、‐‐‐昔の人は四季の営みもきちっと守って‐‐‐死に対しても、ちゃんとした姿勢でそれを迎える習慣があったのではないでしょうか」と。
日本はすでに髙齢化社会だといわれている。少子化の進むなかにあって寿命が伸びるのはありがたいことだが、ならばこそ、上記の意見に耳をかたむけるべきではないか。
死に支度 いたせいたせと 桜かな