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2018年4月法話 『汝等よ、去来や、宝処は近きにあり』
汝(なんじ)等(ら)よ、去来(いざ)や、宝処は近きにあり
車に乗ればナビが道案内をしてくれる。街を歩けば行先きはスマホが正確に門前まで導いてくれる。いたれり尽くせりの時代になったが、さて、前人未踏の密林にぽんと放置されたとしたらどうでしょう。水も地図もなく、道すらなかったら途方に暮れてなすすべはない。そんな時、その密林を熟知している人が現われ、私たちを安全な場所に導いてくれるとしたら、どんなに助かることか。救われたと思うにちがいない。だが、道は遠く、行けども行けども密林の中。私たちは疲れ果て、安心は突然不安と不平に変わり、歩く気力さえ失せる。それを洞察した道案内人は、想像力を働かせて、まぼろしの城(化城)を造り「君たちよ、すぐ近くにすばらしい城がある。さあ、そこに行って休もう」と勇気づける。「汝等よ、去来や、宝処は近きにあり」とは『妙法蓮華経』(化城喩品第七)のたとえばなしである。道案内人は釈尊、道不案内の者は釈尊の弟子たちなのだが、現代の私たちへのメッセージと受け取るべきだろう。化城とは釈尊の想像力豊かな教化の方法、その導きによって、私たちは、けわしく遠き仏への道を歩むことができる。
塩野七生師は『再び男たちへ』の中で、「軍の指揮官にとって最も重要な資質はなにかと問われれば、想像力であると答えよう」と、マキャヴェッリのことばを引用しているが、指導者は洞察力と想像力が不可欠である。
化城喩品はそのことを語っているのだと思う。
現代に住む私たちの人生は多難である。しかも、いつ何が起こるか分からない。でも、歩まなければならない。では、何を目標に歩んだらいいのか。そのような時の道案内役が釈尊なのである。
私たちが人生に疲れひるんだ時、釈尊はあらゆる手だてを使って、私たちに勇気と希望を与えてくれる。化城喩品のたとえばなしもそのひとつだ。その導きに私たちも答えていかねばならない。その手はじめに、困難に出会った時、(こんな時、仏さまだったら、どうなさるか、どう思われるか、どのようなことばかけをなさるか)と、ちょっとだけでも仏さまをおもってみてはどうだろうか。
道は遠くとも、歩めばそれだけ近づける。