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2017年11月法話 『傘ひとつ 片方はぬれる時雨かな』
2017年10月26日
傘ひとつ 片方はぬれる時雨かな
忘れ物ナンバーワンは傘だそうだ。ついうっかり忘れることもあるだろうが、出先の途中で晴れると邪魔になるからだとも言われている。雨なら買い、晴れたら捨てる、消費文化の象徴みたいだ。
ところで、こんな川柳がある
傘ひとつ 片方はぬれる時雨かな
この川柳は、傘のさし方にかこつけて、人生の生き方を問うているのだ。
雨にぬれるのがイヤなら、もう一本買えばいいではないかと思うのは勝手だが、そうはいかない。ここは、何ごとにも満足にいかない娑婆世界、つまり堪忍土なのだから。
傘はひとつしかありません。だから、どうしても片方はぬれてしまうのだ。
では、ぬれる片方とは何か。
さし方、その一。
自分ひとりで傘をさし、すたこらさっさと、相手を置き去りにする。相手は当然ずぶぬれだ。
さし方、その二。
一の場合とは逆に、相手に傘をさしかける。そうすれば、当然自分はずぶぬれになる。
なんと思いやりのある人だと感心する一方、追従や服従によることもあるから、一概に美徳とはいえない。
さし方、その三
二人仲良く相合傘。一つの傘に二人が入る。いくら寄り添っても外側のそではぬれてしまう。
以上三通りの傘のさし方。つまりは、自己中心型、忘己利他あるいは追従型、そして、思いやり型の娑婆世界の歩き方を示唆したのがこの川柳。そしてまた、〝あなただったらどうしますか〟と問われてもいるのだ。
勿論、理想は、第三の思いやり相思相合型で、「雨もよし、離れたくない傘の中」といきたいところだろうが、但し書きがつく。「相手によるよ」と。また、次のような場合もあるだろう。
傘ひとつ 離れていたい この暑さ
いやはや娑婆世界の歩き方ってむずかしいものですね。